サブカテゴリ[SC02 近現代の日本の社員教育文化]
(サブカテ記事№13)
前回、日本特有の、新卒一括春採用の直接的な源流が明治維新にあること、しかしその原型となる年2回の「採用・就職戦線」が、実は江戸時代、既に存在していたというお話をしました。
さて、近代的な学校教育制度を整えたのは明治新政府でありましたが、しかし、日本人の学びのシステムが、明治時代に突如として出現したわけではありません。
実は日本の場合、江戸時代、既に世界に冠たる学びの場「寺小屋」が存在しており、熟爛の教育文化を展開していたのです。そこでは、「読み・書き・そろばん」と、その素材として、時代を支える思想教育であった儒学、朱子学、国学なども教えられていたのです。
そして、そうした教育は、ほぼ全て明治新政府が整えた学校教育制度に引き継がれていったのです。
ここが重要です。
近現代の日本型教育に大きく影響を及ぼす、しかも世界に例を見ない国民教育の下地が、江戸の昔からあったということです。
教育レベルの比較をするのに、最もわかりやすい基準として識字率が使われることが多いのですが、江戸時代末期における、庶民の識字率比較では、当時最先端の文化国家・戦闘国家として世界に冠たるイギリスでさえ、日本と比較すると霞んでしまうのです。
■日本(江戸などの都市部):70-80%
■イギリス:20-30%
江戸後期、国民教育文化が爛漫たる体に至っていた頃、記録によれば、日本全国で寺小屋の数は1万5千を超えていたそうです。
もちろん。寺小屋は私塾です。時の為政者の影響を受けない、当に「国民による国民の教育機関」だったのです。その寺小屋では、僧侶、武士・浪人、神職、医師らが本職の傍ら子供たちや若者に教え、学びの喜びに触れた町人や農民の子供が成長すると、今度は自分が師となり、寺小屋を開いていました。日本人はそもそも勉強好きな国民性、知的好奇心に富んだ国民性だったのでしょう。
驚くべきことに、当時の全国の寺小屋数1万5千という数字は、2026年2月末日の、日本国内におけるファミリーマート店舗数1万6千415店舗に迫る勢いです。当時は正確な統計ができていない可能性もありますから、ひょっとしたら・・・ですね。
更に寺小屋の源流を遡れば、それは室町時代の寺院教育に行きつき、そこでは禅宗の思想教育が盛んに行われており、僧侶に交じって民間人も指導を受けていたようです。
更に寺院教育の源流を遡れば、奈良時代、聖武天皇が命じて全国60ヶ所、120施設が建立された「国分寺・国分尼寺」の存在が、極めて大きな契機となっています。
そこでは、鎮護国家の大義名分の下、仏教思想で国家観、国家の礎たる国民としての人生観、人間観の教育が行われ始めました。
そしてそこに至る流れは、飛鳥時代の推古天皇が摂政であった聖徳太子(厩戸皇子)の薦めにより発した「仏教興隆の詔」に端を発するのです。
ひょっとしたらご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、仏教が日本に輸入されて暫くの間、仏教は単なる信仰ではありませんでした。それは、思想や哲学の部類に入るものでした。
日本の教育文化、とりわけ学校教育から失われてしまった思想教育を考えるとき、このことはとても重要です。次の記事で詳しく説明させて頂きます。
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