サブカテゴリ[SC02 近現代の日本の社員教育文化]
(サブカテ記事№12)
これまで見てきたように、日本型の社員教育文化は、戦後の社会構造や経済成長の文脈の中で、独自に形成され、成熟してきました。では、その対極にあるかのように語られる欧米型は、果たして常に“進んだもの” であり “正しいもの”なのでしょうか。
ここは、少し冷静に考えてみる必要があります。
確かに一部の国や海外企業では、日本型の社員教育に似た考え方が支持され、それがゆるやかに世界へ伝播していった面もあります。しかし世界全体として見れば、諸外国では「欧米的な生産性重視」の風潮が強く、社員教育は、単純なコストとして捉えられがちです。従って、企業が長期的視野で人を育てることに本腰を入れる文化は、" 世界標準 " という見地では一般的ではないのです。これは、02-01でも述べた通りです。
なぜそうなのでしょう。日本の社員教育だけ、なぜそんなに特殊なのでしょうか。そこに正当性はあるのでしょうか。また日本の教育は、果たして「遅れている」のでしょうか。
日本の社員教育、いや日本の国民教育そのものの源流を遡ってみましょう。
そもそも、今日のような近現代的な学校教育制度の走りは明治時代です。明治維新がきっかけです。時の明治新政府が、列強各国と鎬を削るために導入した、国家総動員じみた発想の「教育の強制システム」が源流です。
もちろん、そのようは発想、制度は、江戸の昔には存在していませんでした。ですから新社会人として、まとまった人数の学生が、一気に社会に出るようなこともありませんでした。当然「学卒新入社員の大量採用」、「まとめて一から教育」という考え方もありませんでした。
では、近現代の学校教育制度の前、つまり江戸時代の就職・就労事情はどのようなものだったのでしょうか?
もちろん。都度採用。個別採用です。必要な時に、必要な人を雇うという考え方です。そこで、時代劇によく登場する「口入屋(くちいれや)」が、現代でいうところの民間職業安定署、或いは就職エージェントのような役割を果たして、求人側と求職側の個別案件の橋渡しをしていたわけです。
江戸時代も後期になると、江戸は世界第1位の人口となり、地方からの人口流入も加速度的に勢いを増していました。こうなると口入屋は大繁盛。時代の中で大活躍。当然、口入屋同士の商売の競争も激化していきます。
記録によると、それはもう、至れり尽くせりのサービスを提供していたようです。就労希望者が上京してから就職が決まるまでの間、宿を貸したり、食事を提供したり、就労先での身の処し方、つまりマナー的なものを教えたり、簡単な読み書きそろばんの指南をしたり、或いはそれらの評価を基に斡旋先を選んだり。
お陰で、地方から中央(江戸)への人の流れも随分安定していったようで、江戸が世界最大の都市に発展していくなか、口入屋の存在は欠かせなかったわけです。
さて、口入屋を介してということになりますが、それでも個別採用が当たり前だった江戸の昔、大きな戦争もなく、平和な時代が続くと、民間で様々なトレンドが生まれていきます。その一つが、労働の切り替わり時期です。
このことによって、口入屋が忙しくなるシーズンが徐々に定着していくわけですが、その労働の切り替わり時期、つまり退職・就職の時期の一般化は、年に2回の「藪入り」の時期だったとのことです。
藪入りとは、働き先である武家や商家が、奉公人たちに年に2回の休日を与えた日のことです。いわゆる正月と盆の時期、それぞれ1日ずつがこれに当たります。
これらの日、奉公人たちは、1日で往復可能な距離の実家があれば、江戸の土産物や、少ない給金から溜めた小銭をもって、こぞって実家に帰ったわけです。一方、遠いところから奉公に来ている人たちは、1日しかない休日で実家の往復は不可能なので、それはそれで年に2回しかない自由を満喫したようです。流行りの芝居や、江戸名所にこぞって出かけ、ささやかな贅沢を楽しんだようです。
さて、その藪入りで田舎に帰った奉公人たちが、里心がついてしまって、帰ってこないということも間々あったようです。久しぶりに実家に帰ったら、年老いた両親の健康状態が悪化していたとか、若い奉公人であれば、単純に親元を再び離れたくなくなったとか、その他色々な事情があったようです。
従って雇い主側としても、それを見越して、雇用契約を藪入り起点、藪入り着点とするようになったそうです。「藪入りから藪入り」までということです。これには、口入屋の助言の影響も大きかったようですが、盆や正月に働き始め、正月や盆で雇用期間が終了する半年契約とか、或いは一年頑張って、盆から盆、正月から正月、といった塩梅の一年契約です。
不運にも、帰省先から戻ってこない奉公人の数が重複してしまうと、雇用側としてはまとまった労働力が不足することになります。こうしたリスクを回避するため、予め雇用契約を短期且つ更新方式にし、予め退職或いは更新する意思を確認してから藪入を迎える。そうすることで、退職者の数を予め把握し、退職予定数だけ口入屋にオーダーを出しておくわけです。
こうした流れが一般化すると、社会全体で[盆と暮れや正月]が雇用の切り替わり時期となっていきます。分りやすく言うと就職シーズンなわけです。記録によると、この時期の口入屋の業務はかなりの多忙を極めたようです。まさに帳面の「書き入れ時」だったわけです。
こうした就退職或いは転職のハイシーズンが、既に江戸時代に定着していたからこそ、明治新政府が学校教育制度を定め、就学を義務化させ、卒業制度を導入することで、大量の学生が一気に世に輩出されることになっても、民間としては、さして抵抗はなかったのです。就職のハイシーズンの時期が変わり、盆と暮れや正月の2回だったものが、1回になっただけですから。
余談ですが、ご存知のように、明治政府による年度の時期変更は紆余曲折を辿り、4回変更されました。また、それに応じて学校の会計年度も変わり、当初、世界標準だった9月入学が一般的だったようですが、政府会計年度の変遷によって、最終的には4月入学が定着するに至ったようです。これには軍の入隊希望届の受付締め切り日の設定が大いに関係していたようでもありますが、それはそれ。
しかし、2回あった機会が1回に減ったわけです。そこをめがけて社会や個人が、採用と就職に血眼になるようになったのは言うまでもありません。
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