サブカテゴリ[SC02 近現代の日本の社員教育文化]
(サブカテ記事№11)
前回、社員教育の骨格が瘦せ細る一方だと、そして教育体系全体がパッチワークのように継ぎはぎになってきていると申し上げました。
ほんの少し前まで、日本の社員教育文化は、非常に成熟したものでした。諸外国にはあまり見られないほど、企業が人を育てることを当然視し、しかも単なる知識注入ではなく、価値観や哲学をも含めて、人財を自社育成しようとしてきました。この文化は、日本型経営の強みの一つだった筈です。
しかし悲しいかな、ここへ来て、欧米型の短期利益志向やコスト意識が随分と幅を利かし、社員教育にかける予算と労力は、年々削られてきているように見えます。
例えば、これまでは、景気後退があるたびに教育予算は採用予算と共に真っ先に削られたものです。景気が後退しているから作業量が減る。作業量が減るから、作業に従事する人材は不要。・・・というロジックです。
しかし、この超人手不足の時代、景気が後退したとて、企業にとって採用費まで同時に削るのには抵抗があります。なにせ景気が回復すれば、人手不足が加速するわけですから。そしてそのことが経営を圧迫するわけですから。
超人手不足の時代、採用に関しては、継続して力を入れ続けるべきことになってきています。ちょっとやそっとの景気後退では、採用費が大きく削られるような社会情勢ではなくなってきているのです。
ということで、景気後退によって真っ先に経費削減する対象は、教育予算に集中するようになってきたのです。
そうした本質的な流れの中で、この10年余り、いやそれ以上に亘って、東日本大震災、コンプライアンス問題の激震、コロナ過、働き方改革と、時代を揺るがす大波のたび、企業教育は汲々と、そしてガタつきながら弱ってきたのです。
中でも、コロナ禍で失われた数年間の影響は劇的でした。かつて研修と言えば「集合研修」が主流でした。もともと“密”になりやすい環境下での活動でしたから、集合型研修は大いに滞りました。あの時代、新入社員研修を経ずに現場配属された若い方々も多く、しかし状況が回復したからと言って、それを取り戻すことはありませんでした。
教育を施されず現場に配属された新入社員たちは、だからといって、即全滅するわけではありません。企業の幹部層から見れば「なんだ。それなりに頑張ってるじゃないか」という見方に変わります。そして社員教育コストに対する見方が、懐疑的になっていったのです。教育が不足したり、偏向したりする影響は、もっと先になってから現れるのにも関わらず。それまでの間、徐々に企業体質が蝕まれていく恐怖が想像つかないのです。
余談ですが、コロナ過での脱 " 密 " の動きは、大企業を中心に集合研修からオンライン研修への転換という形で進みました。これによって大企業では、ある程度の社員教育の回復は見られましたものの、中小零細企業はそう簡単ではありませんでした。自宅に持ち帰れるようなPCもデバイスも、中小企業には数がありません。リモート・インフラが整っていなかったのです。
そして売上回復と資金繰りで精一杯の中、一旦凍結された教育研修予算は、今なお本格的には戻っていないケースも少なくありません。教育の不足は、インバウンドと人手不足の狂乱にかき消されてしまったのです。
つまり今、日本の企業教育は二重に痛めつけられているのです。
一つは中身が対処療法化していること。
もう一つは、そもそもの日本型教育が衰退しかけていること。
ここで必要なのは、単に「昔のように戻れ」と叫ぶことではありません。現代の人財育成課題に対応しながらも、その土台に、もう一度、骨太の人間教育、価値観教育などの、徳育的要素を織り込んでいくことです。
このブログ、このカテゴリでは、ある意味で「社会の徳育復興を企業が担え」と息巻いているわけですが、しかしその前提として、企業教育そのものを立て直さなければ話になりません。
近年の対処療法的な教育から脱し、再び、しかし新しい、骨太な社員教育を打ち立て直すこと。これが、私の言う " 企業教育ルネッサンス " なのです。
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