サブカテゴリ[SC02 近現代の日本の社員教育文化]
(サブカテ記事№08)
前回、社員教育における「哲学の喪失」について触れました。
企業価値観や個人の仕事観、人間観を土台として組み上げられてきた社員教育が、その土台を失っていくとき、現場では何が起こるのでしょうか。
その一つが、手段が目的化し、横文字の新しい技法ばかりが過剰に持て囃される現象です。
ここ15年ほどで「コーチング」という言葉が急速に広まりました。街なかには自称コーチや専門家が溢れ、企業教育の世界でも、また個人の自己実現ビジネスの世界でも、コーチングは一種の流行語のように扱われるようになっています。
しかし冷静に見れば、コーチングの要諦そのものは、決して新しいものではありません。もともとそれは、コミュニケーション論、リーダーシップ論、動機づけ論、部下育成論などの中に、既に含まれていたものです。相手の話を聴き、問いかけ、内発的な気づきを促し、行動を支援する。そうした考え方そのものは、かなり以前から、まともな管理職教育や指導者教育の中で扱われていました。
ところが1980年代以降、欧米で新しいワードと切り口で理論が再体系化され、「コーチング」という横文字で日本に輸入されることとなります。すると、新しもの好き、横文字好きのビジネス界隈の関心を一気に集めます。加えて、上司と部下のコミュニケーションギャップが問題視されていた社会背景とも噛み合って、大手教育研修会社が、こぞって関連プログラムを開発、展開し、企業内教育の中でも市民権を得るようになってきました。
その後、働き方改革、コロナ禍、テレワークの普及、そして「個の時代」といった空気感の広がりの中で、コーチングは更に存在感を強めていきます。上司と部下の一対一面談、いわゆるワン・オン・ワンの技法としてももてはやされ、またテレワークや、働き方改革、ウェブマーケティングの隆盛によって、サラリーマンの個人事業主化の流れが加速し、「コーチの資格を取れば独立できる」「コーチとして食べていける」といった幻想とも結びついていきました。
ここで問題が生じます。
コーチングそれ自体が悪いのではありません。問題は、それが資格ビジネス化され、更には情報商材化されていったことです。
数十万円、時には数百万円もの講座費用を投じて資格を取得し、でも、だからといって、直ぐに食えるようになるわけでもなく、だから投じた費用のサンクコスト意識ゆえに更なるレベルアップ講座、有料高額な集客ノウハウへと誘導される。独立開業の夢を煽られ、セールスライティングだ、ウェビナーだ、ファネルだと、次々に周辺商材へと取り込まれていく。こうした構図は、かつてのシステム販売や、ねずみ講まがいの商売とよく似た臭いを帯びています。もちろん、個々の商品の質ではなく、”売り方”がです。
しかも厄介なのは、そうした怪しげな世界のコーチングが、まともな企業研修としてのコーチング教育と、同じ「コーチング」という言葉の下に混在していることです。真っ当な企業教育の中で扱われるコーチング研修もある一方で、その言葉を隠れ蓑にしながら、弱った人、迷っている人、独立願望を抱く人を巧妙に囲い込んでいくコーチングビジネスもある。これが、今の日本のコーチング市場の混沌とした実情でしょう。
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