
[ 平坦型共通の前提 ]
理想のエゴグラムパターンを探そうとするとき、必ずと言っていいほど「全ての自我エネルギーのバランスがとれているのが理想的だろう」という考え方で、"平坦型"を挙げる人がいます。しかしそれは誤解です。どのエゴグラムパターンがよくて、どれが悪いかという絶対的な基準はありません。あるのは「よい・悪い」ではなく、唯々「あなたの自我バランス」です。そして目指すべきは「あなたがどうなりたいか」という好みの問題なのです。
エゴグラムパターンには必ずプラス面の表出とマイナス面の表出があります。例えばマイナス面の表出としては「ストレスによる葛藤が溜まりがち」なものもあれば、「フラストレーションが溜まりがち」「事実を無視しがち」「目的を見失いがち」「配慮が不足しがち」「自己実現がしにくい」など、その他諸々ありますが、それらの表裏一体としてのプラスの表出を含めて、そのパターン(人生シナリオ)が好むものなら、今後マイナス面が表出しないように気をつければいいし、好まぬものならパターン修正(異なるパターンへ変化)すればいいのです。
「どうしなければならないのか」ではなく、「どうなりたいのか」が重要です。あなたの未来を選ぶのはあなた自身であって、他の誰でもないのですから。
さて、平坦型が「全ての自我エネルギーのバランスがとれている」という考え方はいかがなものでしょう。そのような考え方のベースには「他のエゴグラムパターンはバランスがとれていない」という誤解があるのかも知れません。
これまで生きてきた環境は人それぞれ全く異なります。それぞれ生きてこられた環境下で、また特定のお立場や、特定の人間関係が作用して、結果として現状のような自我バランスを呈しているということなのです。つまり必然であり、今までのそれぞれの人生に適応してきた或いは意図的に適応しなくとも、今までの人生の流れの延長線上ではごく自然な結果なのです。要するにその人なりにバランスがとれている或いは、バランスを保とうとしているということなのです。
平坦型も全くその通りで、このパターンが許される或いは最適であった環境や立場、人間関係があったので、たまたまこのパターンになっているということに過ぎないのです。決して万人にとって理想的なパターンであるということではありません。
そして平坦型は、「それぞれの自我エネルギーが似通った値を示している」だけであって、決してバランスがよいというわけではないことも、確りと理解しておく必要があります。誤解のないようお願いします。
バランスがよいことを論じるのであれば、なにを前提としてバランスがよいのかをはっきりさせておかなければなりません。芸術家として生きるうえでのバランスなのか、それとも起業家なのか、組織の一員としてなのか、家庭人としてなのか、漁師・猟師としてなのか、その他諸々の職業や立場があるわけですが、そうした前提を確りとイメージして、プラスあなた自身の好みに合わせて、どのような自我エネルギーの表出パターンを理想的なものとするのかを考えなくてはなりません。
もちろん。平坦型にも他のエゴグラムパターンと同様に、プラス面とマイナス面があります。
【 本論 】
このタイプは、数あるエゴグラムパターンの中で、全ての自我のエネルギーが押しなべて高い、しかもすこぶる高いことが特徴です。
分りやすく言えば「父親的な厳しさもあって、批判力もあり、理想や基準を追い求める性質も強く、一方で母親的で養育的、慈悲的、愛情表現に富んだ面もあり、更に一方では理性的で論理的な思考体系をもっている。そして処理能力に優れ、且つ父親的な厳しさと相まって社会性に富み、また臆することなく言いたいことも言え、クリエイティブな発想力もあってアイディアマン。明るく、元気で活動的。そして尚、他者に対する配慮、気づかいも豊富で、理性的、理知的な面と相まって、高い公共性を示す」人です。
そう。スーパーマン、スーパーウーマンを彷彿とする感応、行動バターンです。ですから「凄い人」「素晴らしい人」「理想的な人物像」などと評されます。
しかし気をつけなくてはならないことがあります。それは明確なリスクです。
まず第一点は、活動量が過多になることによって過労、最悪の場合"過労死"などが考えられることです。これは"働き方改革"によってケアできるようなものではありません。本業の労働時間制約があっても、このタイプの人は副業にも抵抗がありません。なにせ全ての自我エネルギーが高いから、本人としては"疲れ知らず"なのです。
また副業を選択するような経済環境ではない場合、家族や友人との時間、関係にその高エネルギーを注ぎこみます。趣味にその高エネルギーが向けられる場合もあります。
労働時間を制約したとしても、それ以外のあらゆることに高エネルギー、高パフォーマンスを実現していくのです。なにせスーパーマン、スーパーウーマンですから。
すると自分では認識しないうちに過労状態となり、「あの人はああいう人だから」と周囲が高をくくっているうちに、あらゆる方面で過ぎて活動的であり続け、また完全無欠の配慮と愛情によって公私にわたって多くの人と積極的に関わり続けていきますから、突然死しかねないのです。実際にそうした事例があるのです。
従って周囲の人は「どうどう」と、あたかも乗馬で手綱を引くがごとくクールダウンを促していかなくてはなりません。
第二のリスクは、実は組織的な活動においてのものです。あまりにも素晴らしい人物過ぎて、その背中を追いかけようにも「私には無理」といった感情を抱かせることが多くあり、つまりは熱量の違いから白けてしまう配下の人々が現れることです。
「素晴らしすぎてついていけない」「神がかっていて私には真似できない」「あの人と同じようにやっていたら死んでしまう」などと思ってしまい、素晴らしいのに、それが過ぎているから「手本にならない」のです。
全方位的評価で"素晴らしい"とされる学校の部活の熱血コーチが、指導下にある生徒たちを率いて河原の土手をランニングしていることを想像してみてください。「皆、遅いぞ。こんなものか。俺はまだまだ君たちには負けんぞ。悔しかったら俺を追い抜いてみろ。さあ。声を出していこう。ファイ(ト)!オー!ファイ(ト)!オー」などと先頭を切ってペースを上げていきます。するとそれについていけなくなった生徒たちの足音が、一つまたひとつと遠ざかっていきます。一方、益々いい気になってペースを上げていく熱血コーチ。そして熱血コーチの耳に、後続の足音がまったく聞こえなくなって振返ってみると、なんとそこにあった光景は「離れたところを追いかけてくる生徒たちの姿」ではなく、「走るのを止めて、三々五々土手から降りていく生徒たちの姿」だったのです。皆、諦めて帰路についてしまったのです。
このように、なにごとも「過ぎたるは及ばざるが如し」です。人間的な魅力は素晴らしさばかりでは伝わりません。ベースは素晴らしいものがあっても、その中に垣間見えるダメなところがあってこそ、そこがチャームポイントになって人間的な魅力を増幅していくものです。
全方位的に行動過多となる平坦Ⅰ型は、他者へのストロークも熱烈で過多となり、人によっては暑苦しさを感じるくらいのコミュニケーションとなります。平坦Ⅰ型は、他者に対して多くの意見を伝えたり、感銘を与えることができるでしょうが、それが過剰になると周囲の人々をげんなりさせてしまう恐れがあるのです。相手の受容度を見極めながら、意識的に調整していく必要があります。
また平坦Ⅰ型の神がかった存在、活動の前では、その温度差から周囲のモチベーションが低下するだけでなく、周囲の人々にプレッシャーを与え、時に能力が劣ると感じているメンバーは、益々自信を失っていくこともあります。
指導者的なポジションに至っていないケースでは、肩を並べるチームメンバーから「やり過ぎ」とひんしゅくを買い、チームワークを阻害する恐れもあります。
なににせよ。過労死だけは避けたいものです。
参考:金子書房「新版 エゴグラム・パターン/TEG(東大式エゴグラム)第2版」







